【小商い】覚悟のはなし|移住とお金のリアル02
大阪出身、2014年中津川市に移住。元証券マンでありファイナンシャルプランナーでもある写真家兼業農家の小池 菜摘が、小商いやお金について体験談と共に綴るコラムです。
前回: すきなことを、続けるということ。|移住とお金のリアル01
2015年、はじめて見た野焼きのある風景。
かく-ご【覚悟】 [名](スル)
1 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。「苦労は覚悟のうえだ」「断られるのは覚悟している」
2 仏語。迷いを脱し、真理を悟ること。
3 きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること。「もうこれまでだ、と覚悟する」
4 覚えること。記憶すること。
「時にあたりて本歌を―す」〈徒然・二三八〉
5 知ること。存知。
「郎従小庭に伺候の由、全く―仕らず」〈平家・一〉
出典: コトバンク
|"大好き"ばかりでは、生きられない
お金がなかったら大好きな写真を続けることすらできないんだ。
そう気づいたのは、写真を仕事にしてから半年経った頃でした。
「人にしてほしいことは、まず自分がしなさい」
ヒトやモノやコトをイイな、と思う時、いつもその言葉が頭をよぎります。
鶏が先か卵が先か。
とにかく私は、いつか好きになってもらえる日が来るように願いながら好きになってみたり、大好き!と思ってから好きになってもらえる日を楽しみにしたりしていました。
私は写真が大好きでしたし、
写真を撮らせてくださる方も、大好きでした。
そして写真の仕事そのものも、関わるひとたちも、全部丸ごと大好きでした。
1年ほどそうやってやって、
「あなたの写真が好きだからお願い!」と言ったけれど結局お金を払ってくれるわけじゃないひとたちは、
本当は私の写真に価値を感じていないのだと思うようになりました。
自分や周囲の人たちの経済行動を考えた時、自分にとって価値のあることにはお金を支払います。
例えばカメラ。
30万円とか50万円とかそういう単位でも、払いたくない、なんて思ったことがありません。
これがあれば自分の理想とする写真が生み出せるのですから。
例えば外食。
美味しいもの、素敵な場所。そういった場所で食事をしたいと思ったとき、一人で行くよりも夫と一緒の方がもっと幸せだったり、夫婦だけよりもさらに兄弟を招いた方が幸せだったりして、一人5,000円のコースが結果2万円になったとしても、全然嫌だなんて思ったことがありません。
例えばお土産。
一つ250円の栗きんとん。ご家族で楽しんでいただきたいから、6個入りか…?いや、ひとりふたつは食べてみてほしい。なーんて10個入りで2,500円。普段家で食べるものは、5円でも10円でも安くしよう、って努力しているけれど、そんな2,500円に嫌な思いを感じたことがありません。
渡した時の嬉しそうな顔、LINEで送られてくる「美味しかったよ!さすが本場!」でもうむしろお腹いっぱい大満足。
かわいい!
ほしい!
手に入れたい!
そう、自分にとって価値のあることに払うお金はむしろ喜んで支払うものです。
それなのに私はお金を支払ってはもらえない。
今の私の写真には価値がないのだ。
私の写真に価値を持たせるためには何をするべきか。
自覚し、覚悟を決めて、向き合うことにしました。
好きなだけでは、生きていけない。
2016年、恵那山麓にて
|転機は然るべき時にやってくる
余談のような本題のような
私はその頃岐阜県中津川市出身の夫と、私の地元、大阪府茨木市に暮らしていました。
実家は近くにあるし、駅前だったので不便も何一つなく、何もなければそのまま住んでいたでしょう。
しかし、夫は農家の長男でした。
いつかは農業を継ぎたいのだと聞いていて結婚したので、そういう意味で覚悟はしていましたが
ある日わたしに彼はいうのです。
「中津川に住もう」
2016年、恵那山麓にて
理由は色々とありました。
小さい方の理由は、私の自営業が全然軌道に乗らなくて収入と支出のバランスがとても悪かったこと。
都会は稼ごうと思えば簡単に稼げる分、生活コストも高い。
わたしが好きなことで稼ぎたいけれど稼げない、というのなら、ここで暮らしていくのは難しいのではないか、ということ。
大きい方の理由は、農業が継げなくなるかもしれないというピンチ。
夫の家族は義祖父母が農業で生計を立てており、義父母は教論。
次に農業を継ぐのは夫の役目でした。
義祖父母はその時90歳に近く、夫は少し前から焦ってはいたようでした。
そんな矢先に義祖母が怪我をしてしまい、農業が思うようにできなくなってきたそうで。
このままでは農地が死んでしまう、だから今移住しよう。とのことでした。
都会で頑張っても稼げないのに、田舎で何ができるんだ。という不安な気持ちと
このままではいけないことがわかっているから、何かを変えてしまいたいという気持ちが戦って
私は移住することを決意しました。
「嫁ターン」実行です。
グッバイオオサカ
|光の透過率が高い場所
中津川には数回行ったことがありました。
一番初めは小学校の林間学校だか何かで、馬籠の坂を登りました。そう、大阪の小学校でまさかそんなところに行った人はいないでしょう。担任の先生の何かで、私たちの代だけが馬籠〜妻籠間を歩いたのです。
覚えているのはびっくりする味の五平餅と、恐ろしいぐらいの澄んだ空気。
夫と結婚することが決まってからももちろん行きました。結婚の挨拶と、それから何かで。
いつ行っても、わたしはこの土地の空気に感動していました。
澄んでいる、というか透明度が高い、というか。物理的な何かではなく、光の透過率が高いなあというような感覚。
太陽の光はキラキラと輝き、濃霧ですらも奥行きを感じさせて美しい。
写真を撮るための天国のような場所だと思いました。
ある意味で、わたしはその土地に生きてみたかった。
憧れだったのかもしれません。
ここからは、中津川での生活を、綴ります。
2017年、ついこないだ。恵那山麓にて