【ディープ恵那山麓を訪ね歩くvol.2】岩村町が観光地になった背景には「活性化元年」があるらしい
2018年には連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地になるなど、岩村城跡や城下町を中心に、今や人気観光地である、岐阜県恵那市岩村町。
2023年に入ってからは、5月に公開された映画「銀河鉄道の父」のロケ地に、また6月には、世界から選ばれる持続可能な観光地づくりを目指すプログラム「NEXT GIFU HERITAGE~岐阜未来遺産~」の第1号に、下呂市小坂町と共に『恵那岩村の山城・城下町と農村景観めぐり』が、岐阜県から認定を受けるなど、その注目度は高まるばかりです。
観光地として勢いのある岩村町ですが、800年以上の歴史を持つ城下町が観光地として注目されるまでには、どうやら私たちの知らない努力があるらしいのです。
岩村町のキーマンに、町の変遷を教えてもらいました。
<話を聞かせてくれた人>
宮澤 博光(みやざわ ひろみつ)さん
前 株式会社え〜ないわむら 代表取締役。1948年生まれ。岩村生まれ、岩村育ち。
歩いて暮らせる城下町。観光地岩村の夜明け前。
宮澤さんが10代の頃(1950年代〜60年代)。まだ自家用車を持つ人も少なかった当時、多くの人たちは歩いて街中に出向き買い物をしていました。
「いわゆる野菜や魚、惣菜などを売っているお店が、小さな自治会というかコミュニティの中に何軒かあってね。今は1軒もないけれど、岩村の街の中だけでも、7〜8軒くらいあったんじゃない?駄菓子屋も3軒くらい街の中にあったね。」
今とは業態が違ったお店もあれば、レストランかわい、鳥兵、岩村醸造や松浦軒など、当時から同じ業態で続くお店も。
「レストランかわいにテレビがあって、当時はテレビが出始めでまだ一般には出回っていなくて、子どもたちみんなでわあわあと行って相撲とか怪傑ハリマオとか月光仮面とかを見せてもらったね。今思えばそうとう商売の邪魔をしたから、よう見せてくれたなあと(笑)
冬になるとソリを持って小学校に行って帰りの下り道を滑ったりしていたけれど、当時は怒られなかったね。雪の上をそりで滑ったらツルツルになっちゃうから、本当は怒られちゃうことなんだけど、みんなおおらかだったね(笑)」
当時の情景をイメージしてワクワクしながらも、城下町や観光地ならでは、なエピソードではないような…。
「われわれが10代の頃は、観光の人なんていなかった。当時なんて岩村城の本丸の跡地にお店があって、そこに名物爺さんが住んでいたからね(笑)」
今では考えられない話に編集部もびっくり。一体ここから、どうやって今の岩村に?
移動時間が半分に!阿木川ダム建設で変わった町民の移動
岩村が動き出したのは、宮澤さんが高校卒業後、岩村を出て修行をし、また戻ってきてからしばらく経った、1980年代のことでした。
阿木川ダムの建設に伴い、恵那市長島町と岩村町(当時:恵那市と恵那郡岩村町)を繋ぐ新しい道が建設。それまで30分かかっていた道のりが、およそ半分に短縮され、人々の動きは大きく変わり始めました。
岩村町から恵那市まで買い物に行く人が増え、恵那市でも買えるものを売っているお店は、少しずつ岩村から姿を消していきます。
「当時の岩村のリーダーたちが、これからの岩村はどうなっちゃうの?と危機感を覚えたのがこの頃。ダムができて、町が変わる過渡期に入ったね。」
活性化元年へ!「800年祭」を機に観光地へと舵を切る
1985年、岩村町は岩村城の築城から800年というメモリアルイヤーを迎えます。
築城800年である1985年を機に、800年記念行事や郷土館特別展の開催、いわむら城址薪能、岩村醸造の新ブランド女城主の誕生、女優の渡辺美佐子さん「女城主」就任(1987年)、いわむらレディースマラソンの立ち上げ(1988年)など、さまざまなイベントや事業が、地元のキーマンを中心に続々と立ち上がりました。
1985年当時の新聞では「活性化元年」と表現されるほど、大きく町が変わりだした年。昔から宮澤さんの親世代が活動する現場に行っていた宮澤さんが、まちづくり活動に深く関わるようになったのもこの頃でした。
「ダムができてからの過渡期だったいいタイミングでの800年祭だった。どんどん町が変わっていくのが見えてきたからやる気にもなった。イベントをやって成功した時の満足感がどんどん繋がっていってね。」
自治会、消防団、商工会青年部など、さまざまな先輩たちの動きを見ながら、岩村をなんとかしないと、とのめり込んでいった宮澤さん。
「トップの人たちは、これから観光にもっと重きを置こうと決断して動いていた。当時の人たちの努力があって、今があるから、すごいなと思うよ。皆さんが『まちづくりは人づくり』と言っていたけれど、今つくづくそう思うね。」
先を見据えたトップたちの動きで弾みをつけた岩村は、いよいよ観光の町へと街並みを変えていきます。
時は平成、ついに重要伝統的建造物群保存地区に!
1998年、岩村本通りは商家の町並みとして、岐阜県で3番目、全国では48番目に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
これ以降、城下町では伝統的建造物の修理が進み、歴史的な街並みの保全に重点が置かれるようになります。
それまで注目を浴びずとも、確かに岩村に残っていた城下町の姿や豊かな自然。大きく観光へと舵を切っていった町のリーダーたちは、何を考えていたのでしょうか。
「岩村は何で生きていくか。工業でも商業でもなく、やはり観光で生きていくしかないという考えがあった。私たちがえ〜ないわむらを立ち上げた時、25人くらいの人が30万円以上出資してくれたのは、よう出してくれたとも思うし、感謝している。」
宮澤さんが代表を務めたえ〜ないわむらでは、大正時代に建てられた建物をリノベーションし、2016年にゲストハウスやなぎ屋をオープン。外国人観光客も訪れるなど、岩村を訪れる人たちの窓口になっています。
「朝ドラ半分、青い。以降、観光客向けのお店が増えたのも、お城ブームの影響もあるけど、観光で生きていく町の流れやね」と宮澤さんが振り返るように、城下町としてのポテンシャルを生かした新たなビジネスが生まれています。
Just Do It!若者たちが作る次の岩村への期待
最後に宮澤さんに、これからの岩村町への思いを伺いました。
「800年祭当時のメンバーも高齢化してきて、今の岩村は世代交代という意味での過渡期。
20代30代はまちづくり以外にも楽しいことがたくさんあるけど、岩村は町のことを考える人が多いとは思う。大事なのは、子どもや若い人がまずやってみる、当事者になること。うちらの役目は、とにかくやってみよう、Just do it!で若い人たちの舞台を作ること。失敗も良かったと感じてくれたらいい。
子どもたちが大きくなって帰ってきて、住んでくれるようになったらいいね。」
800年祭を体験した世代から、新たな世代へ変わる、観光地岩村。
ぜひ現地で、昔からの息遣いと、新たな時代を体感してみてください。
<編集後記>
以前、岩村醸造さんへの取材で、女城主誕生のきっかけが800年祭ということは伺っていましたが、ここ60年間でここまで変わっていたのか…とびっくり。
ちなみに取材は岩村の喫茶店で行わせてもらったのですが、ものの2時間の間に、岩村のキーマンが集まる集まる。ディープ岩村記事を書きたくて〜とお伝えすると「(宮澤さんに聞いたら)1番ディープやな!」と言いながら、また当時の岩村エピソードが皆さんから語られ、まとめるのがとても大変でした(笑)ディープ恵那山麓シリーズ、恐るべし。
<岩村観光Info>
岩村町観光協会
住所:岩村町263-2
ゲストハウスやなぎ屋
住所:岩村町305